【心理学】ゲシュタルト崩壊・療法・祈りについて。わたしも幸せ、まわりも幸せがベストだよね。

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「あ~、ヤバい、わたし今ゲシュタルト崩壊起きてるわ。この漢字、これでいいんだっけ?」と、友人にたずねたところ、「それって、ただのド忘れでしょ?」と言われたのです。

いや違うから!ゲシュタルトの言葉の意味は~って、語ると長くなるんで書きます。

 

 

ゲシュタルト崩壊とは

知ってるよって人もいると思うけど、いちようグーグル先生に聞いてみた!(goo辞書より引用)

ゲシュタルトほうかい【ゲシュタルト崩壊】とは・・・、

《「ゲシュタルト」は形態・姿の意》全体性が失われ、各部分に切り離された状態で認識されるようになる現象。→ゲシュタルト
[補説]文字の認識などでも見られる。例えば、一つの漢字を注視しているとパーツごとにばらけて見え始め、ひとかたまりの文字として認識することが難しくなったり、よく知っているはずの文字の形に疑問をもち始めたりするなど。

http://dictionary.goo.ne.jp/jn/67801/meaning/m0u/

 簡単に言うと、全体を見た時に、「え?あれ?これでよかったんだっけ」ってなることです。個別の部分に注目しすぎて、全体を見た時に思考が停止するみたいなニュアンス。漢字で例えられることが多いです。

 

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とくに、「借」とか「若」とか「粉」という漢字は、ゲシュタルト崩壊が起きやすいと言われています。「あ」とか「た」とかの平仮名でも起きやすい。こういった簡単な文字を、10〜20個ほど並べたり、大きく印刷されているがわかりやすいと思います。

 

ここではのせません。気持ち悪いので。(笑)

 

ど忘れとゲシュタルト崩壊の違い

ゲシュタルト崩壊は、知っているものに注目しすぎたせいで、脳が混乱している状態。なぜ起きるのか、その理由は解明されていません。

対して、ど忘れというのは、「よく知っているはずの物事をふと忘れてしまって、どうしても思いだせないこと。」なんですね。

明らかな認知の違いがあるわけですー。

 

参考:https://kotobank.jp/word/%E5%BA%A6%E5%BF%98%E3%82%8C-586584

 

ゲシュタルト崩壊を利用して、怖い実験が行われていたことも。

苦手な方は、飛ばしてください。

 

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツにより強制収容所で行われた人体実験の中には、ゲシュタルト崩壊を利用したものもありました。やっぱり、ど忘れとは似て非なるものなのです。

その実験とは、被験者を鏡の前に立たせ、鏡の中の自分に対して「お前は誰だ?」と、1日数回語りかけるというもの。

その他、有名な実験に比べれば、たったそれだけ・・・と言われるほどのもの。

でも、それをひたすらに繰り返させ、精神状態を観察し続けたと言われています。

 

結果、1週間ほどで判断能力が鈍り、ケアレスミスが増え始める。

2週間ほどで独り言をつぶやきはじめ、3週間経つと架空の誰かと会話をしはじめたのだとか。(この時点で、架空の会話には身振り手振りも加えられていたため、異常行動とされています。)

2ヶ月後には、なぜ自分がここにいるのかを忘れ、自我を失ったそうです。中には、自傷行為や自殺未遂も見られたのだとか。

 

自傷行為を行ったのは「自分という存在を確かめるために、強い刺激を求めていたから」と考えられています。やっぱり、ゲシュタルト崩壊は、ど忘れなんかじゃないから!(笑)

 

 

一方で、ゲシュタルト心理学による【ゲシュタルト療法】もあります。

ゲシュタルト=悪い、怖いものではありません。

ゲシュタルト心理学を利用した、ゲシュタルト療法というのもあります。

 

ゲシュタルトりょうほう【ゲシュタルト療法】とは・・・
《(ドイツ)Gestalttherapie》神経症・心身症などの治療法の一つ。患者に対し、現状・現実をはっきりと認識させ、それらから逃避することなく創造的に適応するように導き、援助するもの。

ドイツ出身の精神分析医フレデリック・パールズと、ゲシュタルト心理学者のローラ・パールズが考案しました。

 

簡単にいうと、再体験を通して「今」の自分で理解し、乗りこえる心理療法です。

意図的にフラッシュバックを起こして、過去を分析する・・・とでもいいましょうか。

 

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人の記憶とは便利なもので、辛いことを忘れることができます。本当は辛い記憶はいつまでも辛いままですが、とりあえずは逃れることができます。瞬間的に冷却して、解凍しないように気をつけるような。

また、忘れたとまでいかなくても、辛かったとレッテルをつけて、考えることを放棄することもできます。これも、いつまでも辛いままの記憶であり続けます。

これは正当な自己防衛。むしろ壊れる前の英断だと脳を褒めてあげたいくらい。

でも、人は成長するし、いろいろな人との関わって、新しい価値観が芽生えたりする。辛い気持ちは変わらなくても、「今のわたし」は、あれがあってよかったって思うかもしれない。逆にいえば、新しいころに気づけるかもしれないと思います。 

 

ゲシュタルトの祈り「 パールズが作ったゲシュタルト療法の思想を盛り込んだ詩」

 ゲシュタルトの祈り、と銘打った詩を、精神分析医フレデリック・パールズは残しています。

 

ゲシュタルトの祈り

I do my thing, you do your thing.
私は私のことをする、あなたはあなたのことをする。

I am not in this world to live up to your expectation. And you are not in this world to live up to mine.
私はあなたのために生きているわけではないし、 あなたも私のために生きているわけではない。

You are you and I am I.
あなたはあなた、私は私。

And if by chance we find each other, it’s beautiful. If not, it can’t be helped.
もしも、お互い出会うことができたら、それはすばらしいこと。 もし出会えなくても、それはしかたのないこと。

Frederick L.Pearls
(フレデリック・S・パールズ)

http://www.gestaltnet.jp/gestalt.html

 

この考え方って、忘れがちだけど大切なことだな~と思う。

わたしはわたしのことをして、むこうはむこうのことをして、かみ合った部分で何かステキなことをしていきたい。

 

お昼前に以下のようにつぶやきました。(最近ツイッター好きです)

 

 

自分を大事にできない人が、他人を大事にできるわけがない、というのはよく耳にする。最もな意見だと思うし、幸せのベースがない人が、他人を幸せにできるわけがないとも思う。

 

でも、私は、誰かが無理をすることで違う誰かが楽になったり、誰かが我慢をすることで違う誰かが幸せを感じるっていうのが、ないとも思っていません。

わたしが、誰かが無理した優しさで、多少の幸せを感じて、嬉しかった経験があるからです。(誰とは言わないけど、お世話になりました)

 

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ただ、ベストなのは、わたしも幸せで、わたしが好きなまわりの人も幸せでいてくれることだと思ってます。わたしに優しくしてくれたり、幸せをくれる人にも、優しくしたいし、幸せになったほしいと思う。

だから、わたしは誰かを幸せにしようとしたり、喜ばせたいなって時は、自分ができる範疇で、無理しない程度ですることにしています。無理しなきゃできなそうなことは諦めます。

 

まあ、感情的になってしまうと、無理してでもやりたくなっちゃったりするんだけどね。そういう時には、こんなことを思い出してたりする。

無理をしないで、自分を大事にして。その途中で出会うことができたら、それはすばらしいこと。 もし出会えなくても、それはしかたのないこと。

 

そんな感じ!

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