プロブロガーと名のる理由。肩書の理由と意味と。

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お仕事でとあるサイトのリニューアルパーティーにお呼ばれした。私は来月から参入させて頂くので、見知った担当さんもいたけれど、ほとんど初めましての方ばかりだった。

当たり前のように名刺をもち「ライターの中馬です」と挨拶をさせてもらっていたのだが、別のお仕事でご一緒した人生の先輩に、目から鱗のアドバイスをもらった。「中馬、おまえどうしてライターと名のっているんだ」と。

それじゃ自分が伝わらない

その先輩のアドバイスとしてはこう。

「ただライターだと名のって、世間がライターに抱いているイメージを知らないわけじゃないだろう。特にこの会場にはライターでなくても自分でコラムをつくっている文化人がいっぱいいる。その中でただ何となくライターと名のったら、何となくでライターをしているようにしか受け取ってもらえない」

その人は他人をプロデュースするのに長けた人で、わたしも講演会などをいくつか持たせてもらった。初めて大人数に講義をするにあたって、発声の仕方から内容の選定までとてもお世話になった方だ。

このアドバイスの後、だまされたと思って数回Webライターだと名のってみたら確かに人の反応は違った。Webってどういうこと?と聞いてもらえるのだ。たった3文字しか変わらないし、わたしがやっている仕事はまぎれもなくライターだから、それまでだって何となくで名のったわけじゃなかったのに。

肩書きがもたらす力は大きい。それは高校や会社を辞める時に痛感していたはずなのに、メリットをひしひしと感じたのはフリーランスになってからだった。

ちまたを騒がせるプロブロガーという言葉

このアドバイスをもらって、肩書として真っ先にでてきたのは「プロブロガー」という言葉。ついでメディアクリエイター。それからフリーランスといったところ。

やっぱり自分と好きなものが似ている人といるのは好意をいだいてしまうし、文章を書くということ好きな人と話すのは楽しい。はてなブログを通じてそういうブロガーさん達と関わりをもたせてもらうと、面白いことをしている人やキャパシティーが広い人が多くてとても勉強になる。社会不適合な自分はかなりのびのびと息をさせてもらっている。

彼ら彼女らの中には自らをブロガーと名のる人は多いし、わたしも彼らをそう呼ぶ。その中にはプロブロガーもいるし、メディアクリエイターもいるけれど、そのあたりはまったく気にしていなかった。わたしは肩書きというものに無頓着だった。

プロブロガーと名のる意味

無頓着で、意識すらもしていなくて。でも「プロブロガーかっこいい」だとか「プロブロガーってなんかダサくない?」なんて言葉は、話題性のある事件でもあればTwitterでサラリサラリと目にするようになる。正直こういう意見にも興味がなかった。

でも、改めて考えてみるときっとその指摘はお門違いなのだろう。プロブロガー勢が目的としているのはカッコイイと思われることでも次世代に憧れをいだかせることでもなく(そんな付加価値もあるだろうけれど)、自分は単純な何かじゃない一味違ったブロガーになんだっていう自己表現でしかないのだから。期待のまなざしでも嫌悪感でも、他と違うと思って注目すらされればプロブロガーと名のる意味や利点はあるのだ。

つまり、外野が発している言葉は相手に改善を求めるものなら失敗だ。彼らプロブロガーが戦っているのはまったく別の次元で他の相手。外野が発する言葉も単なる自己表現だったらお互いさまなのだろうけど、この壁の隔たる雰囲気が少し切なくなった。

肩書を武器として使うべきはフリーランスこそ

肩書を武器として自己表現の道具として使うべきは、きっとフリーランスの方だろう。始める時こそ覚悟をもてだとか、何かに属さないことを選んだのだからと、人はいたるところでは言われるのでは。会社名や役職名がなくなるんだから≪自分の名前≫として生きていくって腹をくくれと。

確かにその意識は必要だけれど、それ以上に自分を理解して自分を端的に表す言葉が必要だ。想像以上に人はそこまで周りに意識を配っていない。だからこそインパクトを与えて「え?なにそれ」という深堀する機会を得るしかないのだ。

個人的な気持ちを述べると

ライター以外の肩書を名のるのに、抵抗感があったのは紛れもない事実。プロフィールなどちょこちょこと書いているけれど、わたしは心のどこかで「ライターって職業をメジャーにしたいし、文字を書いて食べていきたいって人がもっと身近で挑戦しやすい世界をつくりたい」なんて、そんな思いをもっていた。

だから自分がやったプラスのことはライターという職業へと帰化してほしいし、できる限りマイナスなことはしたくない、そう思いつつライターと名のっていた。

そんな正直な気持ちも、人生の先輩になげかけた。そうしたら、順番が違うのではないかという指摘をもらった。「中馬はまだ自己プロデュースすらしていない初対面の人と話しているんだよな?ライターという職業をアピールする前に、まず自分を興味を持ってもらわなきゃその先の職業内容なんて話題にも出ない」と。

例えばメディアクリエイターでもいい、WEBコンテンツメーカーでもいい。とにかく今まで耳にしたことないような言葉でキャッチして、自分を知ってもらう。知ってもらった後に、でも実は自分、ライターって職業が好きで、もっと有名になったらライターって名のっていきたいんですよねという、それが正攻法の順番ではないのかと。

確かに、その通りだなと思った。自分の名前より先に名のってしまいがちな職業は、世の中のその職に対するイメージを本人に投影する。

自分がどう思ったって言葉の意味を決めるのはいつだって世の中だ。今だってギャルとよばれる力のある若い子たちはギャル語といった今までにない日本語を生み出しているし、昔ながらの言葉だって99%が新しい意味で使い始めれば、ほどなくして辞書に書き足される。個人的にはできる限りキレイな言葉を使おうとは心がけているけれど、言葉はやっぱり手段だから使う人の意思を反映するのもあるべき姿なのかと思う。案件や用途によっては砕けた言葉だって使う。あげぽよ?

だから、世間が抱くブロガーという言葉の意味が自己プロデュースによくなければ、プロブロガーなり何なり違う言葉を選択するしかないのだろう、言葉は使う人の意思を反映する手段だから。

それがフリーランスという立場は少しばかり小回りが利く。私も理想とする状況にもっていくためにライターという言葉がそぐわなければ他の手段を見つけるか、もしライターにこだわりたければ別のインパクトを与える方法を考える必要がある。せっかく小回りが利くのだから時々で変わってもいいとも思っている、やることは変わらないのだから。

なかなか変な気分。ついこの間まで、自分が何をしているか隠そうとする行動のほうが大きかったのに。いまでは自分の理想に近いものはどれか、ピッタリの表現は何か模索している。でもやっぱり、私が私であることは変わらなくても、何をしたい自分なのかを表現するだけで世間の対応は変わる。

ずっとずっとやっていることは変わらなくても、自分のスタンスを示すだけで世界は二転三転する。方向こそ変わらなくても、肩書や自分の武器はかわっていく。

あなたは何のためにその肩書を名のっているのか。その肩書でどう自分をプロデュースしているのか。

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