おやすみラフマニノフ : 中山七里 : 崇拝するということは不自由ということ。

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『おやすみラフマニノフ』を先日読みました。

中山さんファンの友人と先日飲んで、影響されました。

おやすみラフマニノフ

中山 七里  (著)

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俳優の妻夫木聡さんも絶賛した15万部突破 『さよならドビュッシー』の続編です!

秋の演奏会を控え、第一ヴァイオリンの主席奏者である音大生の晶は初音とともに、プロへの切符をつかむために練習に励む。

しかし完全密室で保管される、時価2億円のチェロ、ストラディバリウスが盗まれた。彼らの身にも不可解な事件が次々と起こり……。

 

ラフマニノフの名曲とともに明かされる驚愕の真実! 美しい音楽描写と緻密なトリックが奇跡的に融合した人気の音楽ミステリー。

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学園ものと思いそうな煽り文ですけど、思うほど人間って拙くない。

没頭できる喜びや、将来に対する不安の描写はありますが、登場人物は全員おとなです。

 

そんな『おやすみラフマニノフ』を読んで思ったことを。

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崇拝するということは不自由ということ

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『おやすみラフマニノフ』に出てくる登場人物は、がむしゃら。

真実の探究、恋、将来の成功、大好きな音楽など、皆がそれぞれにひたむきです。

 

その中で色々な思惑がかみ合い、今回のトリックが形成されるわけですが(ラストは絡み合った糸がほぐれるような推理があります)、必ずしも自分の目的を遂行するためではないのです。

 

むしろ誰かを思ってやったことだったり、意図を察して行動してしまったりすること。

どちらかと言えば優しさ故の行動が犯行に繋がっている・・・ともいえるかもしれません。

 

 そこでわたしが思うのは、 何かを崇拝するということは不自由であるということです。

 

人はそれぞれ、自分のものさしをもって生活しています。

赤信号は渡っちゃダメだっていう共通ルールがあっても、

車が通っていなければOK

急いでいたら仕方がない

何があってもわたっちゃダメ

手をあげていればOKなどなど・・・

結局のところは自分の倫理観に沿って行動しています。

 

ただ、ここで誰かを非常に崇拝していたとします。

すると自分の中でのものさしがちょっと変化するんです。

たとえば、「あの人は赤信号は絶対に渡っちゃダメっていう人だから、わたっているところ見られたら嫌われちゃうかなあ」とかね。

 

これ、マズローの欲求五段階説でいうと、親和欲求や承認欲求にあたると思います。結構初期で出てくる原始的な欲求です。

そんな難しく考えなくっても、やっぱり好きな人には好かれたいし、その人のためを思ってやったことは褒められたいですよね。当たり前で普通の欲求なんです。

 

「○○しないと、存在を認めてもらえない」条件付きの存在は不自由だ。

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でも、度がすぎてしまうと、「●●したら好きになってもらえる」「××すると嫌われる」「○○しないと、存在を認めてもらえない」なんて、なってしまう。

相手はこう思うだろうって自分で察しているわけだから、結局のところは自分の意志なのだけれど。でも、自由ではないですよね。

 

ゆえに、誰かを好きになることはステキなことですが、何かを崇拝するということは不自由であるということだと思うのです。逆にいうと、自分を崇拝するということは自由である、とも言えます。

(突き詰めて考えると、崇拝したいのも自分で決定していることなのですが)

 

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おやすみラフマニノフはそんな人間模様が顕著にえがかれた作品。

みんな誰かのことが惜しいほど好きで、ちょっとだけ自分のことが嫌い。