等身大の自分。今の積み重ねが、未来の自分。

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ライターをやっています。
大学入試前や就職活動中、新卒入社の時などはお休みをしていましたが、寄せて集めても4年前後でしょうか。

自分が、ライターとしても、個人としても、大切に思っていることを思い出しました。

 気持ちがザワザワとしていた。

最近、気持ちがざわついていました。

きっかけは、ライターになったという方や、ライターになりたい、という人をみかけたこと。今までも、ライターをやってみたいと相談を受けることはありました。でも、実際に行動をしている人たちに出会ったのは最近。しかも複数人なので、時代の流れかな~なんて思います。冷静に考えたら、嬉しいですよね。

 

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でも、その人たちのブログを見たり、実際に会ったりすると、なんとなく心がざわついてました。後述しますが・・・、だって、なんかスゴいんだもん。(笑)

ざわつきたくなくて、ざわついている自分が嫌で。この気持ちをなんとか受け止めようとしていました。

そこで、思い出した大切なことを、書き留めておきたいと思います。

(ただ、書いてる文章にも影響がでていたな、と反省しました。お仕事の方はしっかりやっているとして、ブログの方は、心の乱れが出ていましたね。すみません、もう無理に毎日22:00に更新したりするのはやめます。(笑))

 

初心・・・、はじまりはどうだった?

なぜ、こんなにもザワザワとしてしまうのか。心理学的な話いつかするとして、国語の勉強をした記憶がないことも、理由のひとつだと思いました。

 

わたしは国語の、勉強らしい勉強をしたことがありません。しいていえば、漢字は覚えないと書けなくて、綺麗に文字を書くことは両親から習いました。

私にとって、国語の教科書とは、試し読みがつまったkindleだった。薄くて、気になるところで(中略)だなんて書かれていて。新年度が始まると、国語の教科書は一番最初に読み切って、原文を図書室で探して読んでいました。

 

私の中で、国語は勉強ではなかったんです。教科書は本の紹介がつまった雑誌のようなもので、授業は読み聞かせのようなものでした。

 

ライターの仕事は、その延長線上にありました。

好きなことをして食っていきたい。好きなことを生活の中心にしたい。好きなことを軸にして生きたい。その考えが漠然とあって。じゃあ何が好きなの?と聞いてくれたのは、私に通信制高校という選択肢を教えてくれた先生でした。

 

あの時は、声に出せませんでした。喉につっかえて、返事ができなかったのです。当時の私には、あの環境で、理想を語る勇気はありませんでした。文字を書いて食っていくなんて、そんな不確かな理想を。

だから、「えへへ、秘密!でも、野望はあるので大学には絶対に行きま~す」なんて、笑顔で誤魔化しました。

 

でも、それがきっかけでした。それ以降、私は文章を書くことで食べていきたいと意思表示をするようになりました。それで運よくお仕事をもらえて、それが芋づる式に繋がって。先輩のライターさんに恵まれて、営業活動をして、今の私があります。

 

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ライターをしているというと、すごいね、と高確率で言ってもらえます。その言葉を受け取る時、わたしは脳内で「あまり聞かない、だから、珍しくてすごいね」と、脳内で変換しています。

だって、全然すごくなんてないから。

わたしは勉強をしていない。気付くきっかけも、与えてもらった。まわりの人に恵まれただけ。努力の仕方を教えてもらえただけ。しいていえば、教えてもらったそれをずっと続けて、ずっと書くことを続けてきた。

 

感覚が求めるところにいく。

ざわつくっていう思いは何だろうか。自分が、ただ目の前の大切なことを続けてきただけだから、そういう突出した人に惹かれているのかと思った。

現にざわつく人を見てみると、すごく賢かったり、特出した知識があったり、キャラクターが濃かったりする。純粋にスゴいと思う。

 

でも、羨ましい気持ちとは何かが違った。マネしたいわけでもないし、そうなりたいわけでもなかった。むしろ各々の道を歩んで、いつか共演できたら楽しいだろうなと思うんだもの。

 

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もっと内面に向かいたくなった。自分の感覚が求めるところにいきたくなった。何をいいと思うのか、何をやりたいと思うのか。その判定は自分の中にしかないから。

これを書いたら気持ちがいい。これを伝えたらすっきりする。こんな居心地のいい場所にいたい。シンプルに、ただ、好きだ。そういう感覚を求めたい。

 

思えば、自分の感覚を信じて、続けて、後悔したことはなかった。

文章を書くのが好きだということも、進学の選択も、まわりの人たちも、わたしが感覚的に惹かれた人たちだった。

自分の感覚を信じて決めたことなら、間違えてもいいと思った。

 

 

目の前にある、今、大事なものを。

昔の私は、目の前にある大事なものを大切にしていたと思う。

 

手を伸ばすことはできたり、できなかったり。休憩したり、寄り道したり。

今までの私は、色々な道をたどりつつ、その中で出会う大事だと思うものを大切にしていた。

 

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最近は、まわりのことを気にするあまり、自分に焦点が当てられていなかったと反省しました。

ライターなんだからこうあるべき、プロになるんだからこうあるべき、そんなんでリスクをとっているといえるのか。そんな誰のものとも言えない物差しに、怯えて、縮こまっていた。

縮こまっていたら、何を書きたいのか、何を正しいと思うのかわからなくなってしまいました。それは、自分の外に判断をゆだね任せてしまったから。

 

また、感覚とつながろう。

目の前にある、今、大事なものを大切にしようと思う。

今の積み重ねが、未来の自分だと思うから。