お友達夫妻の家にお邪魔して、色々お話していたら思うところがあったのでメモがてら書いておきます。
荒波のたたない、凪な関係性っていいよなあ。
でも、そういう関係ってがんばって作らないと手に入らないのかなあって話です。
お友達夫妻の家にお邪魔しました
お友達夫妻の家に行って、お昼を御馳走になりました。
ご近所なのは知っていたのですが、タイミングを逃したままずるずるときて、ようやく今日お邪魔したらすごく素敵な空間を作っていてびっくり。
綺麗な空色の車、真っ白な一軒家。YouTubeで「丁寧な暮らし」と検索したらでてきそうなスパイス棚と綺麗なキッチン。観葉植物はどれも生き生きとしていました。
お昼を御馳走になりつつ話を聞くと
お邪魔したのはお昼時。
ご飯は旦那さんが作ってくれるとのことで、奥さんと私で見守りつつお喋りしました。
奥さんはすごく料理が上手な方なのですが、一緒に生活するうちに旦那さんもするようになって、今では食べたいメニューによってどっちが作るか相談するくらいの割合だそう。
そうやってお互いがいることで、興味や挑戦の幅が広がる関係ってなかなか作ろうと思ってもできない気がする。
話の中で奥さんが「付き合って1年くらいはずっと喧嘩をしていたけど、今は凪(なぎ)って感じ」と言っていたのが印象的でした。
昔「なにそれ?!」って思ったこととか怒ったことを、笑いながら振り返ることができるってちゃんと精算していないと無理ですよね。
だからこそ、凪な関係って言えるんだろうな。
私が刺激をあまり欲していないというか、穏やかな日常やポカポカする人間関係が好きなので、すごく素敵だなと思いました。
凪な関係って「つくるもの」なんだろうか
ただ、凪な関係ってどうやって手に入れるものなんでしょう。
つくるものなのか、見つけるものなのか……。
自分は自分のことを平和主義だと思うし、あまり人ともめたくはないけど、喧嘩の有無=凪かどうかではないでしょうし……。
相性的なものがないとは言わないけど、努力もせず得られるとは思えません。
となると、手に入るまでは誰でも1度は凪ではない状態を経験しないとダメなのかしら。
それだと、1人でやりたいことがたくさんあるうちは夢でしかないよなと思ってしまいます。
(人間関係がしっちゃかめっちゃかになると、やるべきことにも集中しにくいし)
物語は凪になる前の話が多いけど
前にどこかで「シンデレラのその後は童話じゃ語られない」と言っていたライターさんがいたけれど、物語だとどうしても起承転結が必要だから、凪な関係は描かれないことが多いと思います。
凪なお話がないわけじゃありませんが……、パッと思いつくのだと「けいおん」とか「働かないふたり」くらいじゃないでしょうか。
(それでも、卒業みたいなどうしようもない節目や新しい恋の予感みたいな多少の乱れは用意されている気がするけれど)
でも、現実世界で求めるのは圧倒的に凪な関係だし、重要なのはハッピーエンドの後。
若干話がそれた気がする。とにもかくにも、できるだけやりたいことに集中できる凪な生活を確保しつつ、いつかそんな日常が過ごせるように模索あるのみだなと思いました。
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